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主のご復活おめでとうございます

         復活の主日 B年 中島町  2009-04-12

 聖ペトロは第一朗読で四つのことについて話しています。初めにイエスの人生を短(みじか)い言葉ではっきり表(あらわ)しています。「ナザレのイエスのことです。神は、聖霊と力によってこの方を油(あぶら)注(そそ)がれたものとなさいました。イエスは、方々(ほうぼう)を巡(めぐ)り歩いて人々を助け、悪魔(あくま)に苦しめられている人たちをすべて癒(いや)されたのですが、それは、神がご一緒だったからです」。二つ目は、このイエスを人々は木にかけて殺(ころ)してしまったことです。そして三つ目は、真理(しんり)のために働く人々を神様は助けてくださるということ。「神はこのイエスを三日目に復活させました」。最後に、イエスは復活されたあと神に選ばれた私たちと一緒に食事をしたことです。私たちはこれらの出来事すべての証人です。
 証人とは一体(いったい)どんな人を言うのでしょうか。それは出来事(できごと)に立(た)ち会(あ)った人のことです。何が起こったのかを見て、どんな話をしていたかを聞いた人です。弟子たちはイエスの証人です。復活後(ご)のイエスと共に飲んだり食べたりしました。弟子たちはイエスの教えを聞いて、イエスがなさったしるしを見て証人になりました。では、私たちはイエスの証人となっているでしょうか。現代(げんだい)の私たちがイエスの証人となるためにはどうしたらいいでしょうか。キリストの証人となるためには、私たちも復活を体験(たいけん)しなければなりません。それはいつでしたか。私たちは洗礼を受けました。その後の人生は変わりましたか。

福音ではマグダラのマリアが墓(はか)に行って、石が取(と)り除(の)けてあるのを見て二人の弟子に伝(つた)えました。二人とは弟子の中のリーダー、ペトロとイエスが一番愛していた弟子です。名前は出ていませんが、一番愛された弟子とは誰でしょうか。福音を記(しる)したヨハネだと考(かんが)えられています。

 ヨハネには誰がイエスのためにいるのか、いないのかがわかっています。ペトロにはこの区別(くべつ)がつきません。ヨハネはイエスの受難(じゅなん)に立ち会いました。でも、ペトロはいませんでした。その上、三度(たび)までもイエスのことを知らないと言ってしまいました。ヨハネはカルワリ山まで行き、ペトロは途中(とちゅう)で離れてしまっています。物理(ぶつり)的にも霊的にもペトロより強いのがヨハネです。ですから先に墓に着きました。ペトロは墓に入っても信じません。「先に墓に着いたもう一人の弟子も入ってきて、見て、信じた。」もう一人の弟子とは誰でしょうか、ここでも名前は出ていません。誰が、ということより大事なのは信じることです。「見て、信じました」。

 皆さん、洗礼を受けているか、熱心(ねっしん)に教会に通(とお)っているかが一番大事なことではありません。イエスを信じることが第一です。弟子たちはイエスの証人になりました。洗礼を受けて、今ここに集まって主の復活を祝っている私たちは、本当に復活されたキリストの証人となっているでしょうか。

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主の洗礼

           主の洗礼    2009-01-11  中島町

         イザヤ55:1-11  ヨハネ5:1-9   マルコ1:7-11

福音のバプティスマ=洗礼には三段階(さんだんかい)の意味があると思います。最初は水のヨハネの洗礼です。それは罪の赦しを得(え)させるための悔い改めの洗礼です。人々の罪を洗礼によって洗(あら)い流(なが)し悔い改めたというしるしで、スタートです。ヨハネははっきり言いました。「私は悔い改めに導(みちび)くために、あなたたちに水で洗礼を授(さず)けているが、私の後から来る方は、私よりもすぐれておられる。私は、その履物(はきもの)をお脱(ぬ)がせする値打(ねう)ちもない」。(マタイ3:11)ヨハネの洗礼は次の洗礼の準備です。人々が新しい生活を始めるしるしです。

   第二の洗礼はイエス様の洗礼です。これは聖霊による洗礼です。「あなた方は行って、すべての民を私の弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授けなさい」。(マタイ28:19)イエスの洗礼は復活の洗礼です。人々に全(まった)く新しい人生を知らせています。では、新しい人生とはどんなものでしょうか。聖パウロは洗礼を受けたコロサイの人たちにこう書いています。「洗礼によって、キリストと共に葬(ほうむ)られ、また、キリストを死者の中から復活させた神の力を信じて、キリストと共に復活させられたのです。(コロサイ2:12)イエスの洗礼が伝(つた)えているのは、誰(だれ)もが人生をキリストと共有しているということです。

   第三の洗礼はヨハネによるイエスご自身(じしん)の洗礼です。今日の福音はこの洗礼を授(さず)けられたときのことを説明しています。そこでは三つのことが起(お)きました。 
初めに天が裂(さ)けた。次に霊が降(くだ)ってきた。最後に天から声が聞こえてきた。「あなたは私の愛する子、私の心に適(かな)う者」。ヨハネから受けたイエスの洗礼は啓示(けいじ)の洗礼と呼ばれています。

 空、精神(せいしん)(魂(たましい))、声、これらのイメージを通(とお)して何を啓示(けいじ)しているのでしょうか。最初の空…ユダヤ人は神様は天上(てんじょう)にいると思っているので、天と地の間の空は邪魔(じゃま)になります。だから神様がこの世に行くためには空を裂(さ)かないと行けません。預言者イザヤは神に言いました。「空を裂けて開いて降(お)りてください」。(64:1)預言者たちの祈りを聞いて神様はこの世の罪を取り除くために、天から降(くだ)ってきました。次の精神…霊が降りてきてイエスの上と水でとどまっていました。創世記(そうせいき)では初めに神様がこの世を創造(そうぞう)されたとき「神の霊が水の面(おもて)を動(うご)いていた」。(1:1−2)聖霊のイメージが示唆(しさ)しているのは、新しい時代の創造(そうぞう)、あるいは世界の再生(さいせい)です。

 最後のイメージ…天からの声。「あなたは私の愛する子、私の心に適う者」。この言葉によってイエスは神の子、息子であることがわかります。イエスは新しい創造(そうぞう)の新しいアダムです。
 ヨハネからイエスが洗礼を受けたとき、新(あら)たな世界が造(つく)られ始めた。私たち一人ひとりの洗礼も同じです。それぞれの上で本当に天が裂(さ)けて、霊が降(くだ)ってきて、天からの声が言いました。「お前は私の子、今日、私はお前を生んだ」。(詩編(しへん)2.7)

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genre : 心と身体

あしあと

ある夜、わたしは夢を見た。
わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。
どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。
一つはわたしのあしあと、もう一つは主のあしあとだった。
これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、
わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。
そこには一つのあしあとしかなかった。
わたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。

このことがいつもわたしの心を乱していたので
わたしはその悩みについて主にお尋ねした。
 「主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、
 あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、
 わたしと語り合ってくださると約束されました。
 それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、
 あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、
 わたしにはわかりません。」

主は、ささやかれた。
 「わたしの大切な子よ。
 わたしは、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。
 ましてや、苦しみや試みの時に。
 あしあとがひとつだったとき、
 わたしはあなたを背負って歩いていた。」


                        マーガレット・F・パワーズ 作
                                松代恵美 訳
                    太平洋放送協会発行 「あしあと」より

2005_6_3[1]2

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